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羽生結弦とカナダのクリケットクラブ

 羽生結弦と浅田真央のあれこれ2015 

羽生結弦とカナダのクリケットクラブ [羽生結弦]

こんにちは、Shouです。

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本日は、羽生結弦とカナダのクリケットクラブという話題について書かせていただきますね。

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最近、天気が安定しませんね。
実は数年ぶりに日射病で倒れてしまいました。皆さんも熱い日も続きますので体調には気を付けてください。

さて、のっけから話は飛んでしまいましたが、今日は羽生のカナダでの練習拠点であるクリケットクラブについて書かせていただきたいと思います。

羽生結弦、カナダへ渡航.jpg

今まで様々な羽生のバックボーンについて触れさせていただいておりましたが、羽生にとってもこのカナダのクリケットクラブを練習拠点にすることは最初は本意ではなかったことだと思います、

羽生がカナダのクリケットクラブに移動したのは2012年の5月のことでしたね。

毎度書かせていただいていますが、羽生の地元に対する思いが人一倍強いという話はもう言うまでもありませんね。

2011年3月の東日本大震災に伴って、羽生自身も避難生活をしたり、練習拠点を転々としました。
その時から羽生にとってフィギュアスケートをする目的というものが、今まで以上に明確になってきたのですが、だからこそ震災直後は自身がずっとフィギュアスケートをしていくことでさえ疑問や葛藤を持っている時期もあったのでしょう。

そして、羽生はアイスリンク仙台に拠点を戻してからもずっと悩んでいたようです。
しかし、自分がフィギュアスケーターとして地元の人を元気にしたい、希望でありたいという思いから自分を高めるために、それまでとてもいいパートナーであった阿部コーチと師弟関係を切り、オーサーコーチがいるカナダのクリケットクラブに拠点を変える決断をしたのです。

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そんな流れから羽生にとっても、できることならカナダのクリケットクラブに行かず地元で頑張りたい思いも強かったはずです。

しかし、その時の決断がなければ今の羽生はなく、自分の目的までの道は遠かったのかもしれません。
そんな選択をまだ17歳の時にできた羽生だからこそ19歳という若さで世界の頂点に立つことができたのでしょう。

どの世界でも同じことですが、この選択というものを多くの人はできません。
どんなチャンスがあってもそれをものにできるかどうかという選択に自分の人生の道は変わってきます。
そして、その選択というものはどの道が正しくて、どの道が間違っているということはありません。
羽生にとってこのカナダのクリケットクラブに拠点を変えた選択が正解であったかどうかは彼自身にしかわからないことなのです。

羽生結弦とオーサーコーチ.jpg

客観的に見たらコーチを変えたことも拠点をカナダに変えたことも正解のように見えますが羽生がこのことをどのようにとらえているのでしょう。

後悔のない選択というものがその人の人生を豊かにするとわたしはおもいますが、羽生にとってもそうであってほしいです。

カナダという地に移動したのには羽生のお母さんの影響も大きいところですが、それを決めたのは羽生自身です。
17歳といえば世間的にはまだまだ少年といわれる時期ですが、その時期にお父さんやお姉さんと離れ、自分の道を自分で歩むという決断はなかなかできない選択でしょう。

羽生の負けず嫌いな性格もかなり影響はしているとはおもいますが、なかなかできない決断をこの時に羽生結弦はしたのです。

なんて、少し話がずれてしまいました。

そんな思いで、カナダのクリケットクラブに羽生は移動しましたが、そのクリケットクラブとは実際どのような場所なのかという話ですよね。
このクリケットクラブは、羽生が拠点としていることで、フィギュアスケートのイメージが日本ではかなり強く感じられていますが、実際はカーリングやテニスなども行われている施設で、様々な分野のトップ選手やジュニアまで多くの選手がいるようです。

羽生のコーチであるオーサーなど他にも名立たるコーチがたくさん集まっていて、羽生の練習拠点としてはとてもいい環境であることは間違いないです。
人材面から見た環境ももちろんですが、実際のカナダの土地というものも含めて、抜群の環境にあるのがこのカナダのクリケットクラブです。

カナダのクリケットクラブ.jpg

このような場所で、世界のトップ選手たちとも刺激しあって成長できることが日本ではなかなかない環境であるのでしょう。
羽生にとってオーサーコーチから学びカナダに行くこと当初4回転サルコウを飛びたい、さらに自分の演技を極めたいという思いが強かったはずです。

しかし、今となってはこのクリケットクラブを拠点にする意味合いというものは他にも出てきたと思います。

それが、羽生自身が有名になりすぎたので、日本では落ち着いて練習をすることが難しいということです。

日本の仙台を拠点に練習をしていると、多くのファンが集まってきてなかなかいい環境で練習は難しいことになると思います。
だからこそ、そんな意味でも今カナダのクリケットクラブというものは羽生にとって更なる自身の成長のために必要な拠点になっていることは間違いありません。

そんな状態から、もしかすると更なる成長のためこのクリケットクラブを出て違う拠点に移るかもしれないような噂もありますね。

実際それはどうなるのかはわかりませんが、羽生にとって、今世界の頂点を取った今、フィギュアスケートをしている理由はその世界でトップを取り続けることによる影響力を求めているように感じます。
世界の頂点に立ち、寄付などもした羽生ですが実際してみると、直接的な影響では自分のできることは限られていると感じたはずです。
その中で、自身を極め、世界の頂点でありつづけることで自身の使命を果たそうとしているのではないかと思います。

だからこそ、自身をさらに極めるためには今のクリケットクラブから出て更なる高みを目指すことも十分に考えられますね。

そして、カナダだけではなく、世界のトップ選手たちとのつながりができることも羽生にとっては必要なことになってくるのでしょう。

羽生結弦.jpg

さて、本日は、羽生結弦とカナダのクリケットクラブというテーマで書かせていただきました。

カナダという地はとても気候の面でも、環境としてとてもいい場所であるといわれております。
羽生にとって二年前の決断が個人的にはとてもいい決断だったと思います。
このクリケットクラブで多くの選手や有名なコーチたちから指導をもらい羽生の演技が飛躍的によくなったことは結果が物語っております。

日本の選手でも練習拠点を海外におく選手はいますがなかなか費用もかかりますし、若い選手にとっては決断がしにくいものではあります。
ですので、誰でも求めているからといってカナダのクリケットクラブに行く選択をすることは難しいことです。

そのカナダ行きの決断をする要素となったものは、羽生がフィギュアスケートをする目的と、お母さんを含めた家族の応援、などがあったかと思います。
2年前とはまた状況が変わり、今の羽生結弦が次のステージに上がるためにどのような決断をするかはまだわかりません。
少なくとも、今シーズンはカナダのクリケットクラブで過ごすのではないかと思いますが、20代前半までは世界を拠点として活動していくのではないでしょうか。

まだまだ先のことになるかもしれませんが、いづれ、日本に戻ってきて日本の仙台でコーチなどをするような未来も遠くはないかもしれないですね。

多くの選手にとって海外での練習というものに憧れをもっている選手も多いようです。しかし、それがなかなかできないということも事実です。

羽生にとってクリケットクラブでの時間が更なる飛躍につながればと思います。


今日も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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