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羽生結弦、地元被災地への寄付

 羽生結弦と浅田真央のあれこれ2015 

羽生結弦、地元被災地への寄付 [羽生結弦]

こんにちは、Shouです。

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本日は羽生結弦、地元被災地への寄付というテーマで書かせていただきますね。

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本日書かせていただく、羽生の地元被災地への寄付については本当に羽生の性格や心の中の感情を強く感じられる内容となっております。

フィギュアスケーター羽生結弦にとって2011年3月11日という日は、彼の人生において忘れられない日になったことは間違いがありません。その地元である被災地への思いはもちろん私達も心を痛める結果となりました。

羽生はもともとは好きでフィギュアスケートをはじめましたが、東日本大震災をきっかけに羽生にとって地元である『被災地の方々を笑顔にしたい』という思いをフィギュアスケートという手段を通して実現するという目的に大きく変わったのではないかと思います。

羽生の地元は仙台であり、仙台に育てられた事実をとても誇りに思っていることを感じられますね。
先日羽生の地元仙台で行われた凱旋パレードにも9万人もの人が詰めかけるほど、羽生からだけでなく地元からも愛されていることを改めて実感じます。

その大切な地元が震災をきっかけに被災地となり、変わってしまった地や人を見ることは羽生にとって何とも言えない心苦しいやり切れないものになったはずです。

そんな大切な地元が被災地となってしまい、そんな大変な時に自分がフィギュアスケートをしていていいのかなど葛藤してフィギュアスケートをやめてしまおうと思った時もあったほどだそうです。
それくらい地元に対して深い愛をもっていたことを感じられますね。

しかし、羽生の演技を見て笑顔になってくれる人の姿や応援を感じ、フィギュアスケートを通して地元被災地を元気にすることが使命なのだと感じるようになったのでしょう。


羽生結弦、被災地宮城にて.jpg

『使命』という言葉はとても重いようなものに感じられるかもしれませんが、命を使うと書きますね。
羽生自身の命を使って生き様としての姿がまさにこの地元被災地復興の思いを持ちながらのフィギュアスケートなのでしょう。

ただ、この『使命』というものは人生を通しても誰もがなかなか見つけられるものではないと思います。
私はこの分野で人を助けられる存在になりたいなんて、10代だけではなく、20代、30代になっても見つけることができる人はわずかなのではないでしょうか。
そんな中、その使命を10代で見つけることができた羽生は本当に幸せなことであると私は思います。
これはタイミングであると思うのですごいということではないかもしれませんが、どんな素晴らしい人でも見つけられない人には一生かかっても見つけられないものを見つけてしまったのではないかとさえ思えます。

ですので、羽生にとって今フィギュアスケートをする目的は明確なのでしょう。
どんなに練習が苦しくとも、喘息で肉体を酷使しようとも、やり続ける価値があるものに変わっていったのかもしれません。

これは私たちにもいえることであると思いますが、仕事をしていても何をしていてもこの目的というものがない人生であると、日々の生活がつまらないと感じてしまうこともあるのではないでしょうか。
しかし、その目的があるからこそ羽生は地元である被災地に寄付をすることにもためらいがなかったのかもしれませんね。

結果論ではありますが、そんな生き方をしたいと思った羽生だからこそ、オリンピックという舞台を10代の若さで世界一になれたのかもしれませんね。

そして、思いを形にしたのが『被災地への寄付』というものだったのではないでしょうか。
以前も羽生の家族について触れされていただきましたが、羽生のお母さんがまさに羽生のマネージャーのような存在であり、現在は二人でカナダを拠点しておりお姉さんとお父さんは日本で暮らしているようです。

カナダに羽生が行くときも地元を出るかかなり悩んだようですが、その決断をしたのも金メダルをとり地元である被災地の人々に恩返しをしたいという思いからだったのでしょう。

羽生結弦仙台凱旋.jpg

この葛藤については羽生自身もこれであっていたのかわからないと話している時期もありました。
しかし、この決断は今となっては羽生にとって一番いい決断になっているのではないかと私は個人的には思います。

そして、寄付というものについて触れていくわけなのですが、『寄付をしたい』といっているのと実際するのは全く違うことであると思います。
ずっとその思いがあっても実際そのお金を手に入れたときには他にも様々な思いが交錯することはあると思います。
家族のために使いたいという感情や他にも寄付という選択ではない違う道を選ぶこともできたはずです。

それにもかかわらず、寄付をするという決断を両親に言われたからとかではなく羽生自身の決断として決めたということが本当に地元である被災地に対する思いの証明にもなっているのではないでしょうか。

このようなことは、なかなかできませんよね。
この行動は、私はフィギュアスケーター羽生結弦としてだけでなく一人の人間として羽生結弦の生き方を尊敬してしまいます。
多くの方が羽生のファンである理由にはこのような思いをその羽生の雰囲気から感じることができるからなのかもしれませんね。

しかし、『金メダルを取り、寄付をした羽生が感じたこと』とても大きな意味を持っているように私は感じます。

それは、実際そのお金を地元被災地に寄付することだけでは何もできないということですね。
そして、一人の『羽生結弦』としてだけだと本当に羽生が求めることができないということを感じたのかもしれません。

ここには私の解釈も強いですが、そのようなことを羽生自身が寄付をした後に強く感じたはずです。
だからこそ、羽生は『金メダリスト羽生結弦』として今後どうやって地元である被災地を元気に笑顔にすることができるのかを考えることが課題になったように感じられます。

しかし、金メダルを取ったこともなく、寄付もしたことのない羽生であったならこの感情を感じることはなかったと思います。
だからこそ、この寄付を羽生自身の決断でしたという事実が羽生の今後の『地元被災地を笑顔にする』という手段の方向性を変えるきっかけになったのではないでしょうか。

羽生のお父さんは、地元石巻で中学校の教頭先生をしているようですね。もちろんお父さんからの影響も強いのでしょうが、この羽生の地元被災地に寄付をするという決断においてお父さんの存在は何よりも大きかったはずです。

羽生が今後どのような道をフィギュアスケーターとして歩んでいくのかはわかりませんが、地元である被災地とは切っても切り離せない人生を歩んでいくのでしょう。もし、仮にフィギュアスケートをやめてしまったとしてもまた違う分野で地元被災地のために寄付という形だけでない何かをしていくのだと考えられますね。

このように自分の軸がある人生を歩むことができている羽生だからその姿に感動をする人や多く共感する人もいらっしゃるのでしょうね。

羽生結弦.jpg

私もまさにその一人ですが、私は地元に寄付をしているからすごいとかそんなことではなく、自分の人生を生きている羽生だからこそ私は彼のファンです。

やはりその演技には彼の自信も感じますし、何より人を惹きつける不思議な魅力を感じてしまいます。

今日は地元被災地への寄付というテーマで書かせていただきましたが、その寄付そのものもとても素晴らしく素敵な内容ではありますが、それ以上に羽生自身がこの寄付をすることによってその先に何を目指すのかということを連想できるような内容でしたね。
そして彼の人間性や感情の葛藤もつよく感じられました。

羽生にとって今後どのような方法で被災地への貢献をしていくのか気になるところですね。
オリンピックで世界一位になり寄付をした今、次にどんなことを目標にしていくのかがカギになりそうです。

羽生結弦、表彰.jpg

さて、本日のテーマは羽生結弦、地元被災地への寄付という話題について書かせていただきました。

今日のテーマは私も書きながら、いつもとはまた違った考えさせられるテーマになりました。
もちろん600万円という金額の寄付は誰でもできることはできないと思います。
しかしそのような大金の寄付でも一人の力ではできることは限られております。
被災からすでに3年が経過して、ずっと復旧されていなかった電車なども少しづつ復旧されております。

しかし、一番必要なことはこれを被災地の問題としてとらえるのではなく、日本という国の意識がさらに全体を見るような意識に変わっていくことにあるのではないかと思います。

だからこそそんな中、羽生が世界で活躍し金メダルを取ること、そしてそのお金を『羽生の地元である被災地』に寄付するという行動そのものが間接的に日本国民の意識を大きく変えるきっかけになっていくのではないかと思います。

ですので、フィギュアスケーター羽生結弦にとってなにより大切なことは結果を出し続けることになってくるのかもしれません。
結果をだしつづけ、日本からも世界からも注目され、その使命を多くの人が感じることが『寄付』による羽生結弦ができること以上の価値につながっていくことになるのかもしれません。

本日はとても私の主観が強くなってしまい申し訳ございません。
しかし、何より、一人のファンとして羽生結弦を尊敬します。

これは羽生だからできるということではなく、誰もが信念や人生の目的は違います。
だからこそその人生の価値を大切にできる生き方が何よりもその人にとって大切な生き方になるのではないかと思います。
今日も皆さんがそんな生き方ができる一日になりますように。

本日も最後までお読みいただきましてありがとうございます。

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